・2022年3月 合同会社ねこの手 設立
2022年4月 株式会社御用聞きと業務提携締結
2022年6月 合同会社ネコリコと取次契約締結
2022年6月 株式会社ガードアイと取次契約締結
2023年5月 コミュニティコーピング認定ファシリテーター取得
2024年1月 日本経済新聞にて取材記事掲載
・設立までの経緯…
2019年までは、我が家では両親の世帯と、私たち夫婦と義理の母親の3人で暮らす
世帯で、別々に暮らしておりました。
一緒に同居していた義理母は膝が悪く、あまり歩けなかったものの、家庭内では
どうにか生活できていたので、多少の手助けをすれば不自由なく生活はできていた
のですが、軽い脳梗塞を患い、入院することになりました。
両親については、2015年くらいから母の認知症が確認され、それでも父親が手助け
すれば充分暮らしていける状態でした。
ところが2019年、義理の母親がリハビリを終えて、家に戻るというタイミングで
父親から家(実家)に戻ってきて欲しいという相談を受けました。
その頃には、母の認知症の症状が悪化していて、もう親父一人では面倒が見られない
状況になっていたのです。
しかもその当時は、親父は母親の認知症について誰にも相談せず、ケアマネージャー
さえ付いて無く、介護保険すら適用していませんでした。
たまたま我が家は、同じ敷地内に私たちが新婚当時に建てた家もあり、ずっと空き家
になっていましたので、夫婦で相談し、義理母を説得し、義理母の退院に合わせて
実家に引っ越すことにいたしました
そこから、私たち夫婦は母と義理母のダブル介護生活を開始したのです。
実際はこの頃が一番辛かった…
妻と義理母は私たちが新婚当時に建てた平屋の離れで暮らし、私と父、母は母屋で
暮らし始めましたが、暮らしてみれば毎晩のように母の家庭内徘徊…
親父はまったく気づかす寝ていましたが、母は2時3時に台所で冷蔵庫の中を物色したり、
炊飯器のごはんを食べていたり、夜中に米を研いでみたり、私の部屋に入ってきて起こ
したり…
まともに睡眠が取れたのは3時間程度の日々でした。
母は昼間に寝ているので平気でしょうが、私は仕事をしなくてはならない。
2か月もたたないうちに、体重も5Kgほど減りました…
それでも義理母と同じケアマネージャーに担当になってもらい、母はデイサービスに
出かけるようになりました。
ちょっとは生活に慣れてきたころ、今度は父親が庭で転んで大腿骨骨折。
義理母のところに来てくれているヘルパーさんに、庭で転んでいるところを発見され
連絡をもらい、救急車で搬送しました。
これでしばらくは入院生活が決定です。
義理母は寝たきりでも頭が鮮明なので、ヘルパーさんに頼ればどうにかなります。
でも母親は認知症で一人で家に置いておくわけにはいかない…
ケアマネに相談して特別養護老人ホームを探すことにしました。
ただ上尾市では見つからず、さいたま市に特別養護老人ホームを時間をかけて探す
ことができ安堵したのです。
父が退院する頃には、母は特別養護老人ホームへ。
退院しても思うように歩けない父にとっても、一安心だったと思います。
要支援1になった父
要介護5の義理母
再び、ダブル介護生活のスタートです。
でも幸いに、父も義理母も認知がないので、助かります。
こんな生活を始めて4年。
よく夫婦で行っていた旅行も、まったく行ける予定はありません。
1日たりとも家を空けるわけにはいけません。
こんな生活を始めて、気が付けば周りの同世代の友人たちも同じような境遇にあり
なかには親の介護を理由に離職する人も出てきました。
これらの経験をさせてもらい、親達と暮らすことで気づいたこと。感じたこと。
この経験を生かして、これからは強く「あなたの為に…」と思い仕事をしていきたいと
思うようになりました。
団塊の世代が後期高齢者医療保険が適用になる2025年
これからの未来に…
人に寄り添う。あなたのためにと思い続ける。
そして持続可能なビジネスとしてのインフラを作りたい。
そんな会社にしたいと「ねこの手」を作りました。
あなたのために…
あきらめない挑戦で
新たなインフラを作る
こんな想いで起業しました。
でも一人ではできません。
理念共有できる人、企業と連携し、
前に進んでいけたらと思います。
合同会社ねこの手
代表 新井隆広
※2022年7月に介護ベットの上で暮らしてきた義理母は天国に旅立ちました。
私たち夫婦の鎹になっていた義理母には感謝の言葉しかありません。
ありがとう。
2022年4月 株式会社御用聞きと業務提携締結
2022年6月 合同会社ネコリコと取次契約締結
2022年6月 株式会社ガードアイと取次契約締結
2023年5月 コミュニティコーピング認定ファシリテーター取得
2024年1月 日本経済新聞にて取材記事掲載
・設立までの経緯…
2019年までは、我が家では両親の世帯と、私たち夫婦と義理の母親の3人で暮らす
世帯で、別々に暮らしておりました。
一緒に同居していた義理母は膝が悪く、あまり歩けなかったものの、家庭内では
どうにか生活できていたので、多少の手助けをすれば不自由なく生活はできていた
のですが、軽い脳梗塞を患い、入院することになりました。
両親については、2015年くらいから母の認知症が確認され、それでも父親が手助け
すれば充分暮らしていける状態でした。
ところが2019年、義理の母親がリハビリを終えて、家に戻るというタイミングで
父親から家(実家)に戻ってきて欲しいという相談を受けました。
その頃には、母の認知症の症状が悪化していて、もう親父一人では面倒が見られない
状況になっていたのです。
しかもその当時は、親父は母親の認知症について誰にも相談せず、ケアマネージャー
さえ付いて無く、介護保険すら適用していませんでした。
たまたま我が家は、同じ敷地内に私たちが新婚当時に建てた家もあり、ずっと空き家
になっていましたので、夫婦で相談し、義理母を説得し、義理母の退院に合わせて
実家に引っ越すことにいたしました
そこから、私たち夫婦は母と義理母のダブル介護生活を開始したのです。
実際はこの頃が一番辛かった…
妻と義理母は私たちが新婚当時に建てた平屋の離れで暮らし、私と父、母は母屋で
暮らし始めましたが、暮らしてみれば毎晩のように母の家庭内徘徊…
親父はまったく気づかす寝ていましたが、母は2時3時に台所で冷蔵庫の中を物色したり、
炊飯器のごはんを食べていたり、夜中に米を研いでみたり、私の部屋に入ってきて起こ
したり…
まともに睡眠が取れたのは3時間程度の日々でした。
母は昼間に寝ているので平気でしょうが、私は仕事をしなくてはならない。
2か月もたたないうちに、体重も5Kgほど減りました…
それでも義理母と同じケアマネージャーに担当になってもらい、母はデイサービスに
出かけるようになりました。
ちょっとは生活に慣れてきたころ、今度は父親が庭で転んで大腿骨骨折。
義理母のところに来てくれているヘルパーさんに、庭で転んでいるところを発見され
連絡をもらい、救急車で搬送しました。
これでしばらくは入院生活が決定です。
義理母は寝たきりでも頭が鮮明なので、ヘルパーさんに頼ればどうにかなります。
でも母親は認知症で一人で家に置いておくわけにはいかない…
ケアマネに相談して特別養護老人ホームを探すことにしました。
ただ上尾市では見つからず、さいたま市に特別養護老人ホームを時間をかけて探す
ことができ安堵したのです。
父が退院する頃には、母は特別養護老人ホームへ。
退院しても思うように歩けない父にとっても、一安心だったと思います。
要支援1になった父
要介護5の義理母
再び、ダブル介護生活のスタートです。
でも幸いに、父も義理母も認知がないので、助かります。
こんな生活を始めて4年。
よく夫婦で行っていた旅行も、まったく行ける予定はありません。
1日たりとも家を空けるわけにはいけません。
こんな生活を始めて、気が付けば周りの同世代の友人たちも同じような境遇にあり
なかには親の介護を理由に離職する人も出てきました。
これらの経験をさせてもらい、親達と暮らすことで気づいたこと。感じたこと。
この経験を生かして、これからは強く「あなたの為に…」と思い仕事をしていきたいと
思うようになりました。
団塊の世代が後期高齢者医療保険が適用になる2025年
これからの未来に…
人に寄り添う。あなたのためにと思い続ける。
そして持続可能なビジネスとしてのインフラを作りたい。
そんな会社にしたいと「ねこの手」を作りました。
あなたのために…
あきらめない挑戦で
新たなインフラを作る
こんな想いで起業しました。
でも一人ではできません。
理念共有できる人、企業と連携し、
前に進んでいけたらと思います。
合同会社ねこの手
代表 新井隆広
※2022年7月に介護ベットの上で暮らしてきた義理母は天国に旅立ちました。
私たち夫婦の鎹になっていた義理母には感謝の言葉しかありません。
ありがとう。